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2005年2月 9日

残す事の重要性

あるシーズンになると松下(ジャストシステムの件でここの製品は二度と買わないことにしたさ)のCMがやたら目につくのだけど、 卒業式シーズンにビデオカメラ、入学式シーズンにビデオカメラ、学芸会シーズンにビデオカメラ、運動会シーズンにビデオカメラ… 大して買い替え需要のあるものでもないのに、必死で売り込むその姿にある意味感心してみたり。

写真と違って映像は、動きも音もあるから記録としては非常にいいものになるのだろうってのが素人的な考え方か。

写真は静止画だし音も出ない。
フィルムもプリントもアーカイバル処理でもしない限りは色あせていくもの。
ところが、撮り方一つで動きも音だって表現出来るのではないかと思っている。もちろん、実際にそうなるわけではないのだけど。
僕がシリーズで撮り続けている「東京モノレール」はあえて黒白で撮られている。この作品は写真単体で終わるものではなく、 写真を見た人が実際の自分の記憶と合致させて、イメージの中で作品を完成させるという、記憶色との融合ってのをテーマにしている。

モノレールを利用した事がある人が僕の写真を見ると、黒白であるけど頭の中ではそのときの情景が浮かぶだろうし、 逆に利用した事がない人は、後になってモノレールを利用したときに、窓から見える景色と頭の中にある僕の写真の記憶がシンクロする。
見ている風景は写真のものとは細部が違う。しかし、似たような状況に置かれる事で、あえて欠けていた要素が一気に補完される。
もちろん、写真単体としても作品として成立するわけだけど、ある種のトリガーを持たせて、 後々に影響をもたらす作品にしてみたいという狙いが込められている。

うまくいくかどうかはわからんのだけど。

こういう風に頭の中で何らかの補完が行えるという点は、記録という面であまりにも完璧な映像にはなしえない技である。
(ちなみにこの記憶色というのを機械的に処理する技術を売りにしている会社がある。大嫌いである。)

なので、僕がもし、記録を世に残すのなら映像ではなく写真にすると思う。プリントさえしてしまえば、 あとはアルバムだけで特別な機材も電気代もいらない。メディアの規格が変わって再生できなくなることもない。 写真が色あせてもイメージの中ではきちんとした情景が補完されるだろうし。

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このページは、はげが2005年2月 9日 13:06に書いたブログ記事です。

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